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インタビュー時:36歳(2021年7月)
関係:母(インタビュー28の妻)
医療的ケアのある子:次女10歳
四国在住。夫、長女、次女の4人家族。
次女は緊急帝王切開で生まれて直ぐ、先天性心疾患と稀少な染色体異常があるとわかり、手術のため1年ほど入院した。
退院後も体調を崩しては入院し、経管栄養、導尿、人工呼吸器などが必要になった。
元看護師だが、次女を在宅で診ることに不安も大きかった。
夫がケアを覚え看護師並みに活躍してくれることが、とても心強い。
次女は特別支援学校に入学したが、地元の小学校に看護師配置が実現し、現在長女と同じ小学校に通っている。
語りの内容
心臓は、先天性のものだったんですけど、希少染色体異常で、ちょっと世界的にも5例以下ぐらいの異常っていうことで。
染色体異常を調べたんですけど、症例が少な過ぎて、これからどういう疾患がとか、どういう症状が現れるかっちゅうことは、ちょっと見当付かないってことだったんですよ。
ほんとは調べたときにそういう何か、決まったものが見つかれば、この先どういう感じのことが起こるかちゅうことが分かったりするみたいなんですけど、先生のほうもそういうんは難しいということで。
――それは、生まれた病院でそこまでのことが分かったんですか。
かかりつけの、大学病院から、よその大きな病院に、依頼をして、また調べてもらうみたいな感じで、ちょっと数カ月かかってからの結果が出ました。
――世界で5例って言われたときって、何て言えばいいんでしょうね。
ある意味すごいなと思いました。もう、初めは5例しかないんかっていう驚きもあったんですけど、そんな少ない中でこう元気に、生まれてきてくれたことはすごく、うれしかったです。
――そのときのお子さんはNICUにいて。どういったケアがあったんですか。
人工呼吸器と点滴類と、ですね。
――医療的ケアで、管が付いてたりとかすることについて、お母さん自身は何か心配だったりっていうことはありましたか。
その当時、人工呼吸器はもしかすると肺の状態から一生かもしれないと。NICUいるときに何度か、呼吸器を外すように離脱をしたんですけど、やっぱり何回か失敗して、また、呼吸器を装着っていうことになったんですけど。
結局NICU出る頃には、酸素だけでいけるようなって、とりあえずは酸素だけで帰れるようになりました。
インタビュー29
- 1人自宅で娘のケアを担うことに大きな不安があったが、夫が医療的ケアを全て覚え、看護師並みの働きをしてくれて本当に心強い
- 普通学校は断られ、特別支援学校に通っていたが、姉が妹と通いたいと言ったことをきっかけに行政に働きかけ、普通学校に転校した
- 普通小学校への転校に際し、市は学校看護師を2名雇い入れたほか、訪問看護ステーションとも契約してくれた
- 看護師だったので、デイサービスに付き添うついでにそこで働いた。娘は他の職員が見てくれて娘の知らない一面も知ることがあった
- 田舎で小児の訪問看護を見つけるのは難しい。入院中に枠が埋まり、スタッフも人員不足で毎日入浴させるのは難しくなってきた
- 娘は視線入力のゲームをしている。射撃でうまく標的に当てている様子から娘の目は見えているのだという発見もあった
- 娘はお風呂やプールが好きで入るとニコニコ嬉しそうにするので、家族で温泉や川遊びを楽しむこともある
- 将来、障害のある次女も地域で自立して暮らせる在宅環境を願っているが、田舎で事業者や病院がなく、民生委員との連携もなく不安だ
- 定期検診で異常が見つかりその日に帝王切開となった。生まれてすぐ医師は元気と言って顔を見せてくれたが、泣き声もあげなかった
- 希な疾患をもつ子どもの今後の成長は医師にも見当がつかなかった。驚きと同時に、元気に生まれてきてくれたことが嬉しかった