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インタビュー時:43歳(2022年1月)
関係:母
医療的ケアのある子:長男13歳
関西在住。夫と長男の3人家族。
息子は妊娠27週目に超低出生体重児で生まれ、生後すぐに心臓手術や気管切開を行った。
1歳のとき、人工呼吸器と4時間おきの経鼻経管栄養が必要な状態だったが、家で一緒に過ごしたいと強く希望し在宅療養となった。
成長はゆっくりながら、4歳で自力歩行可能となり、手話のほか、呼気を使って近くなら聞き取れる程度の声で会話もできる。
現在も胃ろうからの栄養注入とたんの吸引が必要である。
現在特別支援学校に通っているが、将来の自立に向け、勉強の機会はもちろん、自力でのたん吸引等を許可してほしいと考え交渉中である。
語りの内容
時代がすごい進んだと思います。この10年で。
多分医療的ケア児っていうのが、議員さんのおかげで広がってきたっていうのもあるし。
厚生労働省の中で小児科の先生が動いてきたっていうのもあるし。
小児での在宅医療っていう幅が結構広がってきたのが、この10年ですごい増えたと思うんです。
うちの子が退院したときって、本当に訪問看護を探すだけでも大変だった。
NICUから出る子って、どこも受け入れてくれなかったっていうところが、今は、そういうところ専門で見る子どもの訪看さんも多くはなってきてるし。
この10年で、すごい変わってはきてるとは思いますね。
ただ、福祉のランク付けというか、重症認定というか、呼吸器つけてても動いてたら重症にならないっていう判断とか、そういうの(時代の変化への対応)がちょっと遅いのかなって。
判断が、国の基準が追いついてないのかなっていうのは感じられます。
――動けると重症認定がされないから、受けられない制度があるっていうことなんですね。
なんかそう言ってましたね。
まあ多分、今は大丈夫なのか、ランク付けみたいなのが厚生労働省の中にあるみたいで。
呼吸器よりも動けるか、動けないか。肢体(不自由児)か、肢体(不自由児)じゃないかみたいな感じのほうで丸をつけたりするときがあるみたいなんです。
1年前か2年前で、障害者手帳を更新するときに、いつも呼吸器つけてるから1級だったんですけど、呼吸器疾患が。
1回、ちょっと申請遅れますっての(連絡)がきたときに、それ(理由)を主治医の先生に聞いたら、役所のほうから、「歩けるのに呼吸器なんですか」って、「歩けるのに重症なんですか」みたいな感じで聞かれたって言ってたので。
それを往診の先生がここの都道府県の、昔っからの名残でっていうふうには言ってはって。
ただ、そこでもし(障害の)ランクが下がって返ってきてしまうと、それを私が受け止めてしまうと、これから先、こういう子って多くなるから、みんなが困ってしまう。
困ってしまうっていうか、認めてはいけないところになるから、もし等級が下がって返ってきたら、僕に言ってくださいっていうぐらいだったんで、多分まだ、役所の中の判定基準が昔のままなんじゃないんかなっていうのは受け止めましたね。
インタビュー36
- まとまった期間で帰省し実家にケアをお願いする。祖父一人で看ていたらカニューレが抜けたが、見よう見まねで切り抜けてくれた
- 特別支援学校では知的能力の育成にあまり力を入れてくれない。勉強や自立を考えているなら普通学校の支援級をおすすめしたい
- 家での吸引は自分でほぼできるので、中学に入ったら自分でさせてほしいと伝えたが、特別支援学校では自己吸引を許可してくれない
- 小学3、4年までは新学期から秋頃まで付き添った。高学年になり体調が安定してきたことで親自身の時間が少し長くなってきた
- 息子が小学校高学年となり性教育が気になっていたが、母親ではなかなか教えることができず、学校で個別に行ってもらった
- 呼吸器をつけていても動ける子が増えているのに、基準での重症の認定は古いままで、将来必要な支援が受けられないのかもと心配だ
- 息子はその日の宿題が終わればゲームをしてよいルールで、ゲームを楽しみにしている。和太鼓のリズムゲームは相当な腕前だ
- 小さいときは録音ボタンを押したり、ベルを置いて呼んでもらった。簡単な手話や絵カード、チェキの写真を指差しして会話した
- 新聞で東大で開発中の人工喉頭を知り、息子に使いたいと問い合わせた。小学校の卒業式で返事をするという目標を立て、実現した
- 人工喉頭を使うことで、外から聞こえる言葉と自分の発する言葉が一致して、言葉への理解が進むようになったと実感している