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インタビュー時:52歳(2021年4月)
関係:母
医療的ケアのある子:長女18歳
九州地方在住。長男(26歳)、次男(23歳)、長女の母親。実母は同居。

長女は出生直後にNICU(新生児集中治療室)に入室。生後1ヶ月で再入院し、1歳5ヶ月頃に筋病(先天性ミオパチー:乳児重症型)と分かった。
人工呼吸器、気管切開、胃ろうが必要な状態で2歳3ヶ月で退院後は、自宅で生活している。
長女は高校を卒業して自立支援センターに通い、1人暮らしをしたいと希望している。
自分の仕事は着物リメイクの自営業で、親の会の活動もしている。

語りの内容

2年生の終わり、3月31日に離任式って学校の先生のお別れ会がある。
その日に学校に行ったときに、帰りに校長室に呼ばれてですね。私と娘、呼ばれて行ったんです。
そこで、校長先生から、「小学校3年生になる前にお母さんにお願いしたいことがあります」っていうことで、3点告げられたんですけど。

まず、吸引は他の子が気が散るので、それまでは教室内で後ろを向いて吸引をしてたんですけど、「もう今度からは教室の外に行って、保健室なり、そういったところで吸引はしてください」っていうのが1点。

で、水泳の時間も、みんなはちっちゃいプール、まだ低学年だったので、小プールに入ってたんです。
その小プールの横に小さいビニールプールを用意してくださって、そこに教育アシスタントの先生が抱えて、娘とそのビニールプールに入って、手遊びしたりとか足をばたばたさせたりっていうのを水泳の時間、させてくださってたんです。
でも「やっぱり水泳は危ないので、もう3年生からは(水泳の)授業は見学で参加してください」っていうふうに言われたんですね。

で、3点目に、娘、側弯が進行してきてて、授業中、横になって授業を受けれるのは、まあ、1時間程度ですかね。
午前中1時間ぐらい簡易ベッドを市の教育委員会が用意してくださって、それに横になって授業を受けてたんですけど。
「横になってる生徒に、担任は何の指示も出せません」って。
「だから、その休憩してる時間は、お母さん、待機室に連れてってください」っていうふうに言われて。

決定事項としてそれを告げられてしまって、私はなんか、「何……何で今頃、そんなことを?」って思って、もう悔しくて、悲しくて、涙しか出なくて。
それを横で一緒に娘も聞かされて、そのデリカシーのなさというか。
そういったところにも、もう。学校に対して不信感しかそのときになくって。私の中では、この学校に足が向くことはなかったんですね。

どうしても、娘とこの学校に登校するっていうことが私の中でどうしてもできなくって。
たまたま、すぐ、こども療育センターの小児科の受診が入ってたので、その先生に相談して「こういうふうに言われました」って。「もう、私、あの学校には行けません」っていうふうに相談し、「支援学校に転校したい」って私がそのときに申し出たんですね。
そうしたら、その小児科の先生も、「お子さんの今後を考えたら支援学校で、プロというか、専門を学ばれた先生の下で体調を見ながらとか、側弯なんかも防止しながらそこでできることを増やしていくっていうのも一つの選択肢ですね」っていうふうに言われて。
私もそれだったら支援学校に転校しようかなと思って、その手続きを始めました。

私は: です。

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