診断されたときの気持ち
ここでは、医師から確定した診断として「前立腺がん」と告げられたときの気持ちや、その時の状況について、体験者の声を紹介します。
前立腺がんという診断を聞いて、動揺したという人は少なくありません。聞いた瞬間、頭が真っ白になったという人もいれば、「何で自分が?」と強い不快感を覚えたという人もいました。自覚症状がなかった人は、何かの間違いだと思い、最初はとても信じられなかったと話していました。たとえ痛みなどのはっきりした自覚症状があっても、がんだとは夢にも思わず、突然つきつけられた現実に流されるように、治療が始まったという人もいました。
がんという診断名から死を連想した、という人もいます。診断を受けた当時を振り返り、死にたくないという思いから、パニックに陥ってしまったと話す人もいましたし、自分が亡くなった後のことを考え、身辺整理を始めたという人もいました。
切り替えができるように、診断を受ける人には心理的なケアも受けられるようにした方がいいと話す人もいました。
一方で、がんの診断を比較的冷静に受けとめることが出来たという人もいます。これまでの人生で、過酷な状況を乗り越えてきたと自負を持つ人や、前立腺がんの前に、すでに別のがんを経験していたという人は、その時と比べたら前立腺がんの診断は驚くほどのことではなかったと語っていました。また診断を予想していた人のなかでも、前立腺がんのことを、がんの中でも進行が遅く、早期であれば生死には関わらないものと認識していた人は、診断を聞いてもそれほどショックは受けなかったと話していました。むしろ見つかってよかったと語る人もいました。
診断名よりも、転移の有無や悪性度の説明の方が、ずっとインパクトがあったという人たちもいました。
診断を聞いたときの状況はさまざまです。医師から家族と一緒に来るように言われ、家族同席で診断名を伝えられたという人が多かったですが、一人で聞いたという人も少なくありませんでした。診断名を聞いて、家族の方がショックを受けていて大変だったと振り返る人もいました。
正確な診断名や病状は家族にしか伝えられておらず、後になって聞いたという人もいました。10年以上前に診断を受けた人の中には、当時は本人に「がん」を告知する風潮がなかったため、医師に問いただして診断名を聞いたという人たちもいました。
どのタイミングで、どんなふうに伝えられたかによっても、診断の受けとめ方は大きく異なってきます。精密検査で診断が確定した後、医師が隠さずに、はっきりと伝えてくれたのが良かったという人もいれば、あまりにあっさり「がん」と言われたように感じて、もっと慎重に言って欲しかったと話す人もいました。なかには直腸診の後に、確定診断ではないにせよ「がんだ」と告げられた人たちもいて、ひどく驚いたと話していました。
診断を受けたとき、余命や生存率を伝えられた人もいます。自分から積極的に聞いたという男性は、5年生存率10%と言われたとき「自分が10%に入ればいい」と考えたと話しました。医師から一方的に5年生存率70%と伝えられたという男性は「なぜそんなことを言うのか」と切り返したといいます。同じ言葉を使って説明されたとしても、「生存率」や「余命何年」の受け取り方はさまざまです。また、数字はあくまでも平均的なものなのですが、そうとは受け取れず、また、たとえ平均だと知っていても、伝え方でひどく傷ついたと感じる患者さんは少なくないようです。余命告知を受けた人の中には、余命告知そのものに疑問を持っている人もいて、患者の立場に立った説明をして欲しいと話していました。
認定 NPO 法人「健康と病いの語りディペックス・ジャパン」では、一緒に活動をしてくださる方
寄付という形で活動をご支援くださる方を常時大募集しています。

診断を受けたとき、表面上は年相応に対応できたが頭は真っ白で、話も半分程度しか理解できなかった。何とか仕事をやり遂げようと思った
診断を聞き「どうして自分が?」と、ひどく気分が悪くなった。家内が夜、布団で泣いているのを聞いて、苦労させてしまうなと思い、落ち込んだ
病院に行くと即入院となった。前立腺がんで全身に転移があり、長くは生きられないと言われ「まさか」と思いながら治療が始まった
診断を受け、地獄に引きずり込まれるようだった。がんなら死ぬ、でも死にたくない、その繰り返しでパニック状態だった
余命半年と言われたときには、お棺に入るとき足が汚いと嫌だと思い、水虫を治しに行くなど身辺整理をした
担当していた心理学の研修を通じて幸か不幸か、自分にとって大切なものが何かよくわかっていたので、気持ちを切り替えるようにした
手術は出来ないと言われたとき、命そのものはあきらめた。弱り切った病人じゃなく、いかに尊厳を保って生きられるかを考えた
戦時中、軍隊で相当苦労を経験したので、前立腺がんでは驚かなかった。緩慢な進行だし「いい友達だ、適当に付き合っていこう」と思った
PSA値が一気に高くなった時から、がんだと思っていて、医師にも「自分はがんだ」と言っていたくらいなので診断を聞いてもビクともしなかった
PSA値が10を越していないし、大したことないと思ったので自分が世話役でやっている展覧会を終えてから入院しようと思った(テキストのみ)
診断時の説明では初期だったのでそうショックはなかったが、浸潤がみつかり術後の病理検査でグリーソン・スコア9と言われたときはショックだった
診断を聞いたとき自分では前立腺が悪いと思っていたので、見つかって幸運だと感じたが、同席した妻は相当ショックを受けていた
16年前診断を受けたとき、自分には良性だと伝えられていたが、家族には余命5,6年と告げられていた。最初の入院のときは家族・親戚全員が集まった
検診後、説明なしに別の病院を紹介され、不安になって紹介元のかかりつけ医に「おかしい」と訴えたところ、がんだと伝えられた
精密検査の前にがんと言われて、検査の結果やっぱりがんと言われた。隠さないでがんと言ってくれたので落ち着いた
触診で「石のように硬いものが手に触りましたから、完全にがんですよ」とはっきり言われ、本当に驚いた
がんと診断されたとき、5年生存率70%と言われたので何故そんなことを言われなきゃならないのか?と返し、その病院と縁を切った
