痛みを持つ人同士のかかわり
「慢性」ということは、痛みが日常生活の一部になっているということです。しかしほとんどの場合、同じような痛みをもつ人と日常生活で偶然出会うことはありません。そのつらさをともに分かち合う人が身近にいないことは、痛みそのものと同じように、苦しみのきっかけの一つでもあります。ここでは、痛みを抱える人同士のかかわりに対する一人一人の思いについて紹介します。
このように交流に前向きな人がいる一方で、痛みを持つ者同士でも本当に理解し合えるとは限らないとして、そうした集まりに参加することに懐疑的な人もいます。特に、患者会は「傷のなめあい」をする場所という先入観や第一印象を抱く人がいますが、何度か参加する中で、苦しみを共有できる仲間を見つけたと感じたと話す人もいました。
頭痛や腰痛など比較的よく知られている痛みについては、組織化された患者同士の集まりに参加しなくても、同じ悩みを持つ人と出会うことができます。激しい頭痛に悩まされている次の女性は、同じ職場にいる頭痛持ちの人たちと病院や薬に関する情報を交換したり、仕事中に起きる痛みの対処法や辛かった体験について話し合ったりしていました。
痛みの強さや性質の違いを超えてつながれるか
同じ病気を持つ人の会の場合、症状の重い軽いという差はあるものの、原因や対処法はある程度共通していることが多いものです。しかし、痛みをもつ人同士の集まりの場合には、痛みの強弱や性質はもちろん、原因や対処法など、多くのことに違いがあります。そのため、それに伴う戸惑いも聞かれます。また、あえて集まりには参加しないという人もいます。
他にも、病気に自分のアイデンティティを感じられないということで、特定の病気の会にはいかないという人もいます。
痛みによる交流の制約
患者会などの対面の集まりは「行きたくないから行かない」という人ばかりでなく、「行きたくても痛みのために行けない」人もいます。いつ調子が悪くなるかわからないので、予定を立てにくいことも、同病者とのつながりの維持を難しくしているようです。
インターネット上のつながり
痛みで動けない人にとっては、面と向かっての集まりばかりではなく、インターネット上のブログなどが貴重な情報交換・交流の場となっています。そこで交わされるアドバイスが、時には死を思いとどまる助けになることさえあるようです。
しかし残念ながら、インターネット上への情報発信は、書いた人が望まない結果をもたらすこともあります。言及した医療機関への患者の殺到や薬の安易な使用につながるリスクを懸念する人もいましたし、ブログや書籍で「普通に生活できるまでに回復した」と報告したことが、その疾患が「難病指定を受けるのに不利な材料になる」と非難されたと話している人もいました。
自ら患者仲間を組織する
インタビューに協力してくれた人の中には、既存の患者組織に参加するだけでなく、自ら新たに患者のネットワークを立ち上げようとしている人たちもいました。都道府県ごとに障害者福祉の制度が違うことに着目して、都道府県の縛りのない患者会を作って、より広く情報を収集したいと考える人や、病名単位での患者会ではなく、難治性慢性疼痛という痛みの性質で一つにまとまって活動することを選ぶ人もいます。
患者が連帯して社会や医療関係者に向けてアピールをしていくことよりも、患者同士の支えあいに力点を置いた自助グループを立ち上げようとしている人もいます。慢性疼痛の当事者で研究者でもある男性は、薬物依存症の当事者グループの中に疼痛緩和の目的で違法薬物を使い始めた人たちがいることに注目し、その人たちが依存症からの回復過程で身につけた、薬を使わずに痛みに対処する方法を、慢性の痛みに悩む人たちと分かち合えるような自助グループの立ち上げを検討していました。
2018年7月公開
認定 NPO 法人「健康と病いの語りディペックス・ジャパン」では、一緒に活動をしてくださる方
寄付という形で活動をご支援くださる方を常時大募集しています。

痛みで苦しんでいる人とは、家族にも分からない痛みの経験を共有する者同士なので、何時間も電話で話すことがある
初めて婦人科疾患の自助グループに参加したときには「同病相哀れむ」感じで惨めだという思いが強かったが、何度か通って話をするうちに肩の荷を下ろせる気持ちになった
当初は患者会には参加したくないと思っていたが、自分の病気(家族性地中海熱)は非常に珍しいので、同病の人は同じ苦しみを経験する大事な「戦友」のように思えてきた
リウマチの人の集まりに行ったら自分より重症の人が多く、自分には合わないと思い、その後は行っておらず、同じ病気の人のことはあまり知らない
他の人の痛みの話に対して、「自分はこういう大変な思いをした」というように自分と人を比べて語ってしまうと、すれ違いを生みかねない
同じ症状の患者のネットワークを作りたいが、痛みは根本的に共有できないので、がん患者のようにポジティブに問題意識を共有することが難しい面もある
痛みの感覚は自分にしか分からないので、線維筋痛症という病名にアイデンティティを見いだしておらず、患者会に行くよりも自分で生活の仕方を考えることにしている
同じ病気の人と交流できれば少しは孤立感から救われると思うが、実際呼び掛けても2-3人しか集まらなかったらしい。自分も出られないのだからそれはそうだろうと思った
待合室で一緒になる人と連絡先を交換しても、お互い調子が悪くなって疎遠になることがあり、慢性の痛みを今抱えている人同士の交流は難しい
患者会には入っていないが、他の人のブログを見て痛みや生活の状況がさまざまであることを知ったりアドバイスし合ったりしている
他の都道府県の患者も参加できる患者会の設立に向けて準備を進めている。障害者福祉については都道府県ごとに制度が違うので、他府県の仲間からの情報を活動に生かしたい
いろんな薬や治療を試しても効果がない難治性の慢性疼痛患者は、病名ではなく痛みの症状として一つにまとまって、原因や治療の研究を進めるよう訴えていくことが必要だ
疼痛緩和で薬物を使い始めた依存症当事者グループの人たちは薬に頼らず痛みを治す知恵を持っている。彼らと痛みで外に出られない人のためのSkypeミーティングを開きたい
