合理的配慮をめぐる大学との対話

合理的配慮とは、障害のある人から、何らかの対応を必要としている意思が伝えられたときに、負担が重すぎない範囲で対応することです。2014年の国連・障害者権利条約への批准を受け2016年に施行された障害者差別解消法で、障害のある人への合理的配慮の提供は、国立の組織には義務化、私立には努力義務と定められました(ただし、私立であっても、東京都など自治体の条例等で義務化されているところもあります)。合理的配慮に含まれる内容としては、例えば聴覚障害の人が授業にノートテイクをつけることを求めたり、発達障害の人が試験の方法の変更を求めるようなことなどがあります。

配慮が認められるまでの対話

インタビューに答えた人の中には、自分が必要とする配慮について大学に伝え、対話を経て調整をして、良い学びができたと話した人がいました。今回、普通校の高校の先生が大学との相談の際に同席したと話した人はいませんでしたが、次の視覚障害の女性を含め、在籍していた特別支援学校の高等部の先生が、配慮に関する大学との対話の場に同席したことを話した人は数名いました。

大学に障害学生支援室があり、そこで入学後の配慮について話し合いを行った体験を話した人もいました。

次の肢体障害の電動車椅子の男性は、入学前に何が困りそうかを大学と話していくことで、寮を使うことを認められたと話しています。

過去に大学が障害のある学生を受け入れた実績を持つことが、自分が配慮を求めることにも影響したと話した人もいました。

最近は大学で担任制を取るところが増えています。難聴と内部障害がある女性も、入学当初から担任の先生に様々なことを伝えていたと話していました。

合理的配慮を求めるかどうか、どこまで求めるかは、その人が何をどの程度必要とするかによって異なります。次の内部障害の男性は、教員に病気のことは伝えたが、配慮を求めなかったという話をしていました。

配慮を求められなかった・求めたが認められなかった経験

障害学生を取り巻く環境は、ここ10年、20年で劇的に変化してきました。40代の女性は、大学入学時に配慮を求めないことについて、誓約書を書かされたと話していました。

また対話の場があっても、必要な配慮が認められなかった経験を話した人もいました。
車椅子の女性は、実験系の研究室を選びたかったが、かなわなかったという話をしています。

次の聴覚障害の男性も、大学に必要な配慮について相談したが、結局、卒業まで配慮の提供が認められなかった体験をしていました。

難聴の女性は、同じ聴覚障害でもろうに近い学生だとノートテイクの必要性が認められるのに、自分の場合は少し聞こえるので、認めてもらえなかったという体験について話していました。

徐々に必要な配慮が分かってくる体験

大学生活は、高校までの生活とは様々な点で異なるため、入学した時点では、自分に今後どのような配慮が必要か分からない人も多くいます。
看護系を専攻した聴覚障害の女性は、入学の時点では、高校の時にはなじみがなかったグループワークや演習、実習の様子は想像できなかったと話していました。

実際に授業を受けてみて、自分に必要なものが分かった人もいました。次の聴覚障害の男性は、入学前は、情報保障の重要性を分かっていなかったという話をしています。

視覚障害の男性は、入学当初自分で行っていた点訳の手配を、その後大学に依頼するようになった経緯について話していました。

学びの場が多様になることでの対話の難しさ

大学では、学びの方法だけでなく、学びの場も多様になります。中には、大学では配慮をしてもらえたが、実習先などでの配慮を得るための対話が難しかったと話した人がいました。車椅子の男性は、実習先で配慮を求める難しさや伝え方の工夫について話しています。

また、次の聴覚障害の女性も、実習先で配慮を求める難しさについて話していました。

もっと必要なことを大学に伝えれば良かったという思い

中には、大学在学中に配慮を求めることにそれほど積極的になれなかったが、今思い返すと、もっと大学に伝えてもよかったと思っていることを話した人もいました。

視覚障害の女性も、今考えると、ある科目の履修を諦めなくても良かったかもしれないという思いを話していました。

自分に必要なことを伝えていくということ

大学は、社会に出る手前で、様々な人とかかわりながら、自分や自分に必要なことを知り、それを周囲に伝えること自体を学ぶ場でもあります。今回インタビューに答えてくれた人の中でも、大学や周囲に配慮を求める際の「自分なりの工夫」を、大学で様々な体験を重ねながら徐々に身につけたと話した人がいました。大学は、周囲とのかかわりを通じて自分を知り、自分のことを伝える練習の場という面もあります。

視覚障害の男性は、大学で配慮がほしいと思った時、自分になぜそれが必要なのかを考え、理論武装してから伝えた経験を話していました。

次の肢体不自由の男性は、大学生活の中で、徐々に大学と自分の落としどころを見つけられるようになったことを話していました。

聴覚障害で大学の教員をしている女性は、自身が40代になるまで診断がつかなかったため、学生時代も就職活動の時も、自分の障害のことを大学側に伝えることができなかったと言います。同様にはっきりと自分の障害について自覚していない学生でも、困っていることを教員に伝えられるように、自分の授業では最初のタイミングで自分の障害のことを伝えて、学生にも配慮してほしいことを自由にアンケートに書いてもらうようにしていると話しています。

2021年1月公開 2022年4月更新

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