就職活動
大学生活も後半に入ると、就職活動に費やす時間が増えていきます。ここでは障害学生にとっての就職活動の経験についてご紹介します。
企業説明会や就活セミナー
インタビューに答えた人の中には、一般の学生と一緒に一般の企業説明会や就職セミナーに足を運んで就職活動の準備をした人もいれば、障害者雇用に特化した説明会やセミナーに出かけた人もいました。
インターンの経験
インタビューではインターンに行った時のことを話す人もいました。次の女性は自分の視力について詳しく説明した文書を用意して、インターンの応募の際に提出したところ、受け入れてくれた自治体は女性の状況をよく理解してインターンのプランを組んでくれたと話しています。
聴覚障害の男性はインターンに行った会社で、筆談によるコミュニケーションを希望したときの印象が良かったので、結果的にそこに就職したと話していました。
エントリーシートや履歴書
就職活動をする際にはまずエントリーシートや履歴書を準備しなくてはなりませんが、その際に自分の障害についてどのように記載したかについて、話している人たちがいました。外見からすぐに障害があるとは分からない内部障害の人たちの中には、あえて履歴書に障害のことを書かないという選択をした人もいます。
逆に、次の聴覚障害の男性は、企業のエントリーシートに自分の障害のことを書いたことについて、次のように話しています。
面接の経験
就職活動では必ず面接試験がありますが、そこで自分の障害についてどのように説明するかは重要なポイントです。障害がある自分だからこそできる仕事があるとアピールした人や、逆に障害があることを卑下してしまい面接官に戒められたと話す人もいました。多くの人が、できることとできないことについて自分からしっかり説明することが大事だと語っていました。
中には海外のキャリアアドバイザーから、できることの方を主にアピールして、仕事をするにあたりどのような配慮が必要かということは採用まではあまり強く主張しないようにしていたという人もいました。
発達障害の人の中には、就活支援サービスで面接の練習を積んでから本番に臨んだ人もいます。
就活中の合理的配慮の求め方
就職説明会や就職試験でも合理的配慮を求める必要が出てくる場合があります。どのように配慮を求めたかについて、語った人たちがいました。
就職活動の時には診断が出ていなかった聴覚障害の女性は、大学教員を目指していましたが、自分の障害を面接官に伝えるかどうかの判断の基準は一貫していなかったという話をしています。
達障害の女性は、就職活動の時に自分の特性に関する情報を整理したことが、その後、役立ったという話をしています。
就活での壁と進路の選択
大学・大学院までの教育機関で一定の合理的配慮を受けて、健常者の学生と一緒に勉強や研究を続けてきた人でも、就職活動ではそうした配慮を求めにくかったり、求めても断られたりして、壁を感じることが少なくありません。
次の脳性まひの男性は、当初自分も他の学生と同じように就活ができると思っていましたが、次第にヘルパーを使って通勤したり、就労することは難しいということがわかり、当時ヘルパー派遣をしてもらっていた自立生活センターの当事者スタッフになることを選んだそうです。
他にも就職説明会での企業側の対応を通して、いわゆる「手のかからない人」が求められていると思い、初めて「自分の体って不自由なんだな」と感じた人や、自分が「厄介者のお荷物」と思われていると感じた人がいました。
在学中に車椅子になった40代の男性は、大手のほうが受け入れ体制があるだろうと考えて、1000人規模の企業を受けていましたが、その時に受けた扱いについて、次のように話しています。
大学進学の時点でどのような職業に就きたいかをある程度決めて、資格取得を目指して勉強してきた人たちも必ずしもスムーズに希望の職種に就けたわけではありません。就活の時点で改めて自分の障害と向き合って、自分の進路を決める必要が出てきます。中には、そのために現場ではなく研究の道を選ばざるを得なかったりする場合もあります。
就職活動がきっかけとなって、自分の障害に診断名がついて良かったと話している人もいます。高校の時から秋冬になると気分が落ち込む症状に悩まされてきた次の女性は、カウンセラーから障害者枠での雇用をめざすことを勧められ、障害者手帳を取得するために診断書を書いてもらい、その診断名に自分でも納得したと話しています。
2021年1月公開 2022年4月更新
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最初は大学のキャリアセンターが開催しているセミナー等と並行して障害者向けの就職セミナーでも情報収集をした。医薬翻訳をやりたくて片端から関連企業の説明会に参加した
大学院2年目に、AI系の研究開発をやりたいと思って就活を始めた。一般向けの説明会より1対1で話が聞けそうな障害者向けの説明会に絞って情報を集めていた(筆談)
仕事をしていく上では重要なことだと思い、夜間透析をしていると履歴書に書いたところ、「病気をしている人が看護師なんてありえない」といわれた
ある大学に応募した際、履歴書に病気のことを書いたら、指導教員に「難病患者に助教が務まるのか」と問い合わせが来た。それ以降、病気のことを書くのをやめた
障害のことはエントリーシートの志望動機に必ず書いていた。エントリーシートで不合格になったことはなく面接で落ちることが多かったが、差別的な意識はなかったと思う(NEW)
自分がクローン病で入院していた病院の就職試験を受けて、面接では「この病院をIBDの世界で日本一にします」と宣言して、病気を味方につけて希望通りに就職できた
面接では「車椅子で何ができるか」という話から始まったが、率直にできることとできないことを話し、患者さんに関われるなら事務職でもいいと伝えたが、看護職で採用された
アメリカの大学では、1対1なら手話通訳なしで大丈夫で、電話ができなくても代わりにチャットで会話できると、何ができるかを積極的にアピールするようアドバイスを受けた
難聴は自覚していたが診断が出ておらず、ごまかせる時はごまかしていた。就職の面接で聞きとりにくく失敗したことをSNSに投稿したことが、その後の受診・診断につながった(NEW)
自分も皆と同じように就活できると思っていたが、障害者雇用枠での就職をめざして説明会に通っても、ヘルパーを使っての就労は認められず、うまく行かなかった
障害者向けの説明会でも歩ける人ばかりで、面接官も車椅子の自分には素っ気なかった。それまで健常者の友達に遅れないことに自分の価値を感じていたが、初めての挫折だった
健常者の同期生と福祉の就職フェアに行った時、自分だけ利用者向けの説明をされた。どのように現場で仕事をするつもりかと聞かれ、自分は厄介者のお荷物なのだと実感した
車椅子で一般企業は難しいと考え、障害の当事者として仕事ができそうな社会福祉関係に絞って障害者雇用枠で受験したが、社会福祉の現場だからこそ働くのは難しいといわれた
インターンをした病院で「手話通訳に依存していては仕事はできない」と言われた。通訳の費用の問題もあり、研究にも興味があったので大学院に進むことを決めた(手話)
