病気と仕事の関わり
仕事を持っている人ががんになったときには、治療のためにどうしても一定期間、仕事を休まなくてはなりませんし、仕事の性質によっては同じ仕事を続けることが難しくなることもあります。その一方で、一人暮らしの人や自分が一家の稼ぎ手である人は、仕事を辞めて治療に専念したくてもなかなかそうは行かない、という事情もあります。また、仕事を続けて行くことが、がんと闘う力になっている人もいました。ここではそうした乳がんと職業生活の関係について、体験者の語りをご紹介します。
インタビューでは多くの人が仕事と治療をどうやりくりしたかということを話していましたが、その体験は就労形態がフルタイムの正社員か、派遣社員か、パートタイムかによって、かなり異なっていました。特にがんの診断を受けた後、それを職場に伝えるかどうかの判断において、その違いが顕著でした。
規模の大きな会社の正社員で、休職期間の賃金保証もある人たちは、あまり躊躇せずに上司や人事担当に相談していましたが、派遣で働く人たちの中には、契約の打ち切りや新規契約の際に不利になることを懸念して、職場には病気のことは打ち明けないことにしている人が複数いました。採用が決まりかけても、病気を理由に断られる経験をした人もいます。
会社を経営する男性は社員や取引先への影響を考え、社内外に病気を公表しなかったそうです。しかし、再発時は抗がん剤の副作用で脱毛し、取引先にわかってしまったと話していました。
初期治療ではまず手術入院で職場を離れることになるので、多くの人は自分がいない間の仕事の段取りについて語っていました。中には、段取りをつけるために手術を延期した人もいました。
職場復帰までの期間は、抗がん剤や放射線治療などの補助療法をどういう形で受けるかにもより、今回のインタビューでは、10ヶ月の休みをとってその間に抗がん剤と放射線療法をやった人もいましたが、診断から2週間で手術を受け、術後2週間で職場復帰して仕事をしながら放射線治療を受けた人もいました。復帰直後は体力が落ちているので、徐々に体を慣らしていけるよう会社のほうで配慮してもらえた人もいますが、間もなく元の激務に戻ってしまってきつかったという人もいました。
中にはがんをきっかけに転職や退職を考えた人や、実際にそうした人もいました。術後の後遺症でそれまでできていたことができなくなって仕事を辞めた人、上司の対応や職場環境の変化がストレスとなり仕事を辞めた人、リンパ浮腫のリスクを考えて手を使う仕事を辞めることを検討している人、病気を機に自分が本当にやりたいことが何なのかを見つめ直した人などがいます。
一方、再発治療は長期に続くということで、仕事を辞めたくても、よほど経済的な余裕がない限り、生活のために辞められない場合もあります。しかし、仕事を続けていくこと自体が、がんと闘う力になっているという人もいました。
2017年2月更新
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1~2ヶ月で復帰するつもりで乳がんだと上司に伝えたが、術後の病理診断でリンパ節転移がわかったので、復帰を求められてもすぐには無理だということを改めて会社に伝えた
休職して再発治療に専念できるよう、人事部の担当者と医務室の保健婦さんが、配属先の上司との間に立って話をつけてくれた
検診の予約を取った時点で、上司にがんの可能性があることを伝え、その後の経過も包み隠さず伝えたことで、移動の少ないポジションを与えてもらえた
中学の教員をしている。職場でオープンにしたことで時間割や休暇の面で協力が得られた。また、病気で感じたことを生徒に伝えたいと思い、話したら、手助けする子も出てきた
休職中は自分の立ち位置がなくなったと感じ、不安だった。8ヶ月の休職後に復帰したが、休職中の給与や評価、復職後の異動など恵まれていたと思う
診断時は営業の仕事だったので派遣先にも派遣元にもすべてをオープンにしたが、結果的に派遣先に受け入れてもらえないことが多い
医療職に就きたいと思って資格もとったが、面接を受けに行って病名を伝えると、断られることが多い
最初の手術は、ただ1週間休むと言って病院に携帯やパソコンを持ち込み、社内外に伝えなかった。不用意に心配かけたくなかったのが大きい
8ヶ月の休職後、看護の仕事に復帰して、半日勤務から始めたが、2ヶ月後には3交代勤務に就いていた。体力的にきつかったが、仕事に出ると「できません」とは言えなかった
術後の後遺症で手・腕の感覚異常やリンパ浮腫があったため、腕を使う作業の多い教員の仕事で、周りに迷惑をかけるのが心苦しくて退職を決めた
デザイナーとして仕事をしてきたが、病気になったことをきっかけに、1年くらいかけて自分を見つめ直して、本当に向かいたい道は乳がんの啓発活動だと気づいた
華道教師としての仕事が生きがいになっていて、病気と闘う力の根源になっている
