家族の思い・家族への思い|乳がんの語り

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NPO法人 健康と病いの語り ディペックス・ジャパン > 乳がんの語り > テーマ別 > 生活 > 家族の思い・家族への思い

乳がんの語り

家族の思い・家族への思い

ここではインタビューに協力した人たちが、乳がんという診断を、親、夫やパートナー、子どもたちにどのように伝え、それらの人々がその事実をどのように受け止めたのか、ということについての語りを紹介します。

娘として

娘が乳がんになることは親にとってとても辛い体験です。その親の悲しみや心配を察すると、親に病気のことを伝えることは、多くの体験者にとって一番辛かったと言います。ショックの少ない方法を模索し、きょうだいに相談したり、あとで手紙を書いた人たちもいました。心配をかけることが辛くて、何年も伝えられなかった、未だに伝えられないでいるという人たちもいました。

同居していたにもかかわらず、両親が悲しむことを思うと、病気のことをいつ言おうかと思い悩んだ(音声のみ)
自分の両親には、耳が遠いこともあり、電話でがんになったことだけ伝えて、無事1年過ぎて手紙を書いた
きょうだいにはみんな話しているが、高齢で心配性な両親には未だに話していない

親が告知に同席した人もいましたが、一緒に病気に取り組みたいから、診断されてすぐに自分で話した、衝撃を和らげるため、母親を介して父親に伝えてもらったという人たちもいました。義父母には、直接、自分で話さず夫に伝えてもらったという人もいました。親たちは、娘が乳がんであると知って強いショックを受けたようでした。娘の乳がんに気づいて受診を勧めた経験がある女性は、自分がなったときよりもそのときのほうがショックが強かったと話しています。

告知に同席した父親は強いショックを受けたようだった。2週間あまりして脳梗塞で交通事故を起こしたのはそのせいかもしれないと思う
まず母親に話して、留守だった父親に伝えてもらった。入院前に両親に会いに行ったら、父親は言葉には出さなかったが、涙を目に浮かべてとても心配していた
今回、自分が診断されたときよりも8年前、娘の乳がんがわかったときの方がショックで辛かった

一人暮らしをしている女性たちにとって、親は支えとなる大切な存在ですが、その一方で心配され過ぎることが時には負担になることもあるようです。あえて実家に戻らず一人暮らしを続けた人、再発がわかってから一人暮らしをはじめた人がいました。親元から遠く離れて闘病することが、親に強い不安を与えていたことに後から気づいたという人もいます。

田舎の母親に病気のことを伝えたら、びっくりして、地元に戻るように進めてくれたが、心配されすぎるのもつらいので、一人暮らしのまま治療することにした
実家の母親が、1人で療養している自分を心配して高い漢方薬を送ってくれた。母親自身が不安で誰かに話を聞いてもらいたかったのではないかと母親の心配を思った

妻・恋人として

夫やパートナーについては、一番身近な存在ということで、一緒に診断や病状の説明を聞いてもらうことが多いようです。あるご主人は、病院まで同行したのに、悪い結果を聞くのが怖くて診察室には入らなかったそうです。夫の方が本人以上にショックを受けていたという人は少なくなかったです。何人かの女性は、気持ちの面や家事・子育てなどで夫にかなりサポートしてもらったと話してくれました。病気の夫を思うと伝えるのが辛かったという人もいました。

大腸がんの時は医師からの説明を1人で聞いたが、乳がんの時は夫が会社を休んで一緒に説明を聞きたいと言ってきた
主治医に説明を聞きに行くとき、夫が酒臭い状態で、先生に悪いなと思ったが、後で考えるとお酒で気を紛らわしていたのかもしれない(音声のみ)
診断されたあと、夫にメールで乳がんだったと伝えたら、「一緒に治していこう。今日、おいしいものを食べに行こう」という返信が返ってきた
がんだと確定した後、夫に治療のことを含めて、詳しくわかるように伝えた。夫はとても心配して、上司に相談し、療養中は残業せず、早く帰宅するようになった(手話・通訳付)
がんと知らされたとき、病気の夫のことが頭をよぎり、泣けてきた。夫にはすぐに知らせず、入院4-5日前に乳がんで入院するけど大丈夫だからと伝えた

夫が自分の気持ちを誰かに話したり、ストレスを上手に発散したりすることができなくて、つらかったのではないかと語っている人もいました。円形脱毛症になってしまったパートナーもいたそうです。それぞれに葛藤しつつも、関係性を維持できた人たちもいれば、思いがすれ違った結果、パートナーと別れることになってしまった人たちもいました。

夫は悩みを人に話すタイプでないので、つらかっただろうと思う
「あとは頼むよ」と夫がよく言っていたが、今は私が夫に頼まなくてはならないかもしれないと思う。夫の気持ちに応えきれない自分がいて、そういう話ができなくなった
治療中、夫は長期海外出張中だった。たまに電話しても、気持ちがすれ違って悔しい思いもしたが、心配されすぎるより、かえってよかったのだと思う
夫もどう接したらいいかわからず葛藤していたと思うが、何か声をかけてほしかった。お互いの気持ちがすれ違い、別居することになった
乳がんの自分を受け入れてくれる彼ができたが、卵巣の病気も見つかり、自分自身は大丈夫だと思っていても、彼にとっては心配しかなく別れることになった

母として

子どもに病気のことをどのように伝えるか、また母親の病気についてどのような反応かは、乳がんである本人の考え、夫の考え、子どもの年齢や性別によって異なっていました。小学生以下の子どもたちには、年齢に合わせてわかりやすく病気や手術のことを伝えた、入院することだけ伝えた、大人の会話でわかっているだろうが特に伝えていない、などの対応をしていました。ある人は、子どもに甘えたくなって、病気のことを言い過ぎてしまうこともあると話していました。

2,3歳のころは「ワニがお母さんのおっぱいを食べた」と言っていたが、7歳になった今は怖さまではわからないかもしれないが、「乳がん」という言葉は知っている
3歳の娘にはママはおっぱいの病気と言っている。一緒に病院にも連れていき、検査される姿を見ているので、ある程度の年齢になったら、娘も抵抗なく検診に行けるといい
病気のことを伝えると、小学生の子はぽろぽろと涙を流して静かに泣いた。中学生の子は「死んじゃうの?」と聞いてきたので、「死なないように頑張るから」と答えた
がんだとわかって中学に入学した娘に伝えたとき、「そう」と言っただけで、どんな風に感じのたかわからなかった(手話・通訳付)
現在、再発治療で毎週病院に行っているが、小学生高学年と中学生の子どもたちにまだ病気のことは詳しく話してあげたことはない
5歳の息子は「ママの病気はがん」と言う。ときどき子どもに甘えて、「ママのこと忘れないでね」と言ってしまい、夫に怒られる

一緒に入浴するとき、子どもたちは子どもたちなりに親を気遣っていることについて、何人かの人が話してくれました。一方で、手術後は傷を見せられず、結局一緒にお風呂に入れる時期を過ぎてしまい、スキンシップが十分できなかったことを寂しく思った、授乳中に乳がんが見つかり、おっぱいを上げられなかったことを申し訳なく思ったという母親たちもいました。

手術後2年ほど経ってから、小学校低学年の息子と一緒にお風呂に入ったが、背中を向けて息子が傷から目をそらせていたので、子どもながらに気を遣っていると思った(音声のみ)
手術を機会に下の子と入浴しなくなったが、もう少しスキンシップしたかった。小学生高学年の上の子には「乳がん」と言ったが、重大なこととは思っていなかったようだ(音声のみ)

子どもたちが周囲の人たちから何か言われて傷つくことがないよう、ごく限られた人にしか病気のことを知らせていないという人もいました。周囲に病気のことをオープンにしていたインタビュー協力者の1人は、小学生の娘が友だちの一言で傷ついたのでは、と語っていました。

どうしても言わなくてはならない1-2人にだけ言ってあとは病気のことは隠していた。子どもが周りに何か言われるとかわいそうだと思っていた
娘が友だちに「がんならお母さん終わってるね」と言われ、つらい思いをさせた。息子は今、中1で「プロサッカー選手になるまで頑張って」と言ってくれている(音声のみ)

中学生以上の子どもたちを持つ体験者は、ほとんどの人が折を見て、病気のことを話していました。思春期の子どもたちについて、ある人たちは親の病気に対して感情をあらわにしないで、淡々と受け止めたように見えたと話していました。自分ががんになったことを娘の教育の機会ととらえ、介護について学べるよう、あえて世話になることにしたという人や、乳がん検診やがん保険などについて改めて話をしたという人もいました。ある人は、息子には乳房を切除した気持ちや治療中の辛さをわかってもらえず、孤独だったと語っていました。一方、成人して子どももいる息子たちに心配をかけたくないと、何も伝えずに療養していた人もいました。

母子2人暮らしだが、20代の息子は男なので、乳がんになった気持ちをわかってもらうのは難しく、心細かった(音声のみ)
発症当時大学生だった娘たちは、女性としてこれから乳がんになる可能性もあるので、自分がここで元気にならなければ不安を与えると思い、がんばって治療に臨んだ
診断当初、早く子どもたちに成長してほしいと焦っていたが、2人が高校生、中学生となり、焦りが消えた。中々言えなかった「将来、孫の世話してあげるね」と言葉に出せた
息子たちがショックを受けると思い、病気のことは言わず、夫と2人で闘病することにした。抗がん剤治療中に息子が里帰りしたときも明るく振る舞い、気付かれなかった(音声のみ)

インタビュー協力者の中には、授乳期に乳がんが見つかり、お乳を飲んでいた子どもへの影響を心配したという人もいました。

がんだった乳房を好んでお乳を飲んでいた娘への影響が心配でつらかったが、医師に影響ないと言われ、ほっとした

再発の不安・診断を伝える

がんという診断については家族に話せても、再発の不安についてはなかなか話せないという人たちもいました。家族にとっても再発はショックなことです。病状を理解してもらうために、母親を診察時に一緒に連れていったと言う人もいました。

再発の不安は家族に心配をかけるので言えないと思っていたが、小出しに言ってもらった方が楽だという家族の人の話を聞けてよかった
娘は懸命に支えようとしてくれるが、夫が亡くなり、自分も再発したことのショックは大きいと思う。弱気な自分を見せてはいけないと思っている
再発したとき、母親に病状をわかってほしくて、診察に連れていった。自分から母親に話すと元気そうに見えて理解が難しかったようだが、医師から聞いて納得したと思う(音声のみ)
再発して、いいことも悪いことも全部、両親に話している。その方が自分は楽だし、両親にとっても安心だろうと思うが、やはり自分以上にショックを受けていると思う

嫁、妻、母として家族を支える

インタビューに協力した人たちの中には、嫁、妻、母として家族の介護に追われ、自分のことは二の次にならざるを得なかったという人も少なくありませんでした。夫の看病で受診を遅らせたという人、治療中に夫と父親を看取ったという人もいました。ある人は、夫もがんになり、自分が支えてほしいときに相手を支えなくてはならなかったと話していました。自分が乳がんになったのと同時に娘の妊娠がわかったという人は、娘が看病のため出産を迷っていると聞き、生むことを勧め、治療中にもかかわらず出産の手助けをしたそうです。しかし、彼女はそのおかげで自分の病気にだけ集中せずによかったと語っていました。

退院と同時に脳梗塞で入院中の母親の介護、その後、交通事故で長期入院を余儀なくされた娘の看病と、自分の体に無理を強いなくてはならない日々が続いた
病気の夫に心配をかけていると思うと涙が出た。入院中は嫁や孫が代わりに夫の世話をしてくれたが、退院後は自分で家事も介護もやらなくてはならなかった
怪しいなと思っていたが、夫の療養と重なり3年間放っておいたら、胸が陥没してしまい、もう駄目だと思って病院に行った
夫が同時期にがんと診断され、治療中はお互いに助け合わなくてはならず、甘えることができなかった
抗がん剤治療中に娘が出産し、孫の面倒に追われ、病気にばかり気持ちが行かなくてよかった。吐き気などの副作用も軽く、無事に治療を終えられた

2018年9月更新

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